毘沙門天真言(マントラ)のご利益や意味・唱え方【金運アップに効果絶大!】
こんにちは、管理人の凛です。
現代社会を支配する新自由主義的な価値観のもとでは、お金は自分の力で稼ぐもの、と思われがちです。
しかし、お金を寄せ付けるためには、まずは運の巡りに恵まれることが非常に大切。
真言(マントラ)とはまさしく運を呼ぶ方法であり、なかでも「毘沙門天真言」は金運アップに絶大な効力を持ちます。
今回はその毘沙門天真言のご利益や意味、唱え方について、詳しく解説していきます。
毘沙門天は富と財宝の神
毘沙門天は日本では七福神の一人としておなじみの神様ですね。
七福神における毘沙門天は、武将の格好をしています。そのことからも察せられるように、古くから勝負事にご利益があると見なされています。有名な戦国武将の上杉謙信も毘沙門天を信仰していました。
武神としてのイメージが定着している毘沙門天ですが、実はさらに起源をさかのぼれば、もとは富と財宝の神様なのです。
インド神話の財宝神が毘沙門天のルーツ
インド神話にクベーラという神様がいます。地下に埋蔵されている財宝の守護神とされる神様です。
この財宝神には別名があり、それをVaiśravaṇa(ヴァイシュラヴァナ)と言います。
ピンと来た方もいるかもしれませんね。
この「ヴァイシュラヴァナ」という名の発音を漢字に写したものが「毘沙門天」です。このように、ある言語の音声を別の言語の表記によって写し取ることを音写と言います。
つまり毘沙門天はインドの財宝神から来ているのです。まさに金運アップにうってつけの神だと言えるでしょう。
ちなみに、ヴァイシュラヴァナを意味的側面から漢訳したものは「多聞天」と表記され、これも同じく毘沙門天を指します。
ヴァイシュラヴァナには「よく聞く者」という意味があるのですね。
あなたの願いもしっかりと聞いてもらえそうではありませんか?
金運アップに効果絶大な毘沙門天の真言
真言とはサンスクリット語のmantra(マントラ)を漢字に意訳したものであり、mantraとはもともと神々に捧げる讃歌です。これを繰り返し唱えることで呪力が発揮されます。
真言の捧げられる神々の特質ごとに効力もさまざまであり、財宝の神である毘沙門天の真言を唱えることには、金運アップの効果があるというわけです。
それでは代表的な毘沙門天の真言を紹介します。
Oṃ vaiśravaṇāya svāhā
おん・べいしら・まんだや・そわか
上に記したのがサンスクリット語で、下はそれを音写して漢訳したものを、ひらがなに表記し直したものです。
唱える際にはこの表記を参考にすればOKです。
- おん、そわか
冒頭のOṃ(おん)と末尾のsvāhā(そわか)は、他の真言の中でも多く使われています。真言における決まり文句のようなものですね。
- べいしら・まんだや
サンスクリット語の綴りを見ると、Vaiśravaṇa(毘沙門天)の名前が入っているのが分かるでしょうか。
語尾が少し変わっていますね。こうした語尾の変化の仕方は与格といって、文中においてその名詞が間接目的語であることを示しています。
したがってここでは「毘沙門天(のため)に」というような意味になっています。
英語でもお祈りのフレーズとして、あるいははもっと気軽に「お願いだから」といったニュアンスで「for Christ’s sake」(直訳すると「キリストのために」)などの表現を使いますが、文法的にはそれと同様の内容が表されています。
声に出して唱えることが大切
仏教用語の多くは音写によって漢訳されています。
そのことにはいくつかの理由がありますが、特に真言に関しては、それが神仏の秘密語であるがゆえ、常人に意味を理解することは不可能であり、また不必要でもあるとされるからです。
意味が分かるような言葉に翻訳してしまっては、その本来の価値が減じてしまうという考え方ですね。したがって真言の重要性が置かれるのは意味よりも発音の方です。ぜひ声に出して唱えましょう。
その際、意味を考える必要はなく、毘沙門天のイメージを心に思い浮かべることが大事です。
できるだけ長く繰り返し唱えましょう
唱える回数は厳密に何回と決まっているわけではないですが、極力長い方が良く、できるなら1時間程度続けることが望ましいです。
もし時間がないようなら、7回、21回、108回という回数はいずれも目安として好ましい数字です。それぞれ意味のある数字ですが、たとえば108は人間の煩悩の数だというふうによく聞きますよね。
除夜の鐘をその数だけ打つのは、煩悩を滅するためとされており、つまり真言を108回唱えるというのもそれと同じ意味合いを持ちます。
常日頃から毘沙門天と心を一体化させることが理想
正確な回数を数えることが最も大事なわけではないので、心が落ち着くまで唱えることができれば、それで構いません。
大事なのは、無心になり、ただ毘沙門天の真言だけに心身を浸すということです。毎日続けなればならないとか、何日間続けなければならないといった決まりもありません。
ですが、日頃から続けて習慣にすることで、本尊との心の同一化はより一層深まるでしょう。
自分自身が常に毘沙門天と共にあると感じられる状態に到達することが理想です。
神仏を信じることのみがお金を招き寄せる道
社会学者のマックス・ヴェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』において、資本主義の発達をキリスト教徒の信仰心に結びつけて論じました。
金銭を儲ける手段である労働は、神への信仰を体現する行いであると主張したのです。
ヴェーバーが前提としているカルヴァン派の予定説は、真言という方法が由来する仏教の教えとは相反するところもありますが、金銭を一種の神の恩恵として捉えている点では違いはありません。
そしてその意味においてのみ、金銭欲は正当化されると私は思っています。
したがって、毘沙門天真言を唱えて金運アップを願うことは断じて、現実逃避の怠惰な行いでもなければ、気休めでもありません。
神仏を信じる心を持つことが、お金に恵まれるための第一の条件であり、毘沙門天真言を唱えることは、最も直接的に信心を示す実践的行為であるのです。
感謝の気持ちを持って唱え続ければ、きっとお金も巡ってくるはずですよ。
まとめ
今回は金運アップに効果(ご利益)のある毘沙門天真言をご紹介させて頂きました。金運を求める事は決して強欲ではありません。富やお金が人生で最も大切な事ではありませんが、特にこの資本主義社会である日本で生きていく為には必要な存在です。大切なのは富を得て、その上で何を行うかです。自身の欲を満たすだけでなく、この真言を使って富を得たならば、次は誰かにその富を分け与える事を考えてみるのも良いかもしれませんね。