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【お経とは】5分で分かる宗派毎の違い、意味や種類、効果などを詳しく解説

お経を念じる坊主

こんにちは、管理人の凛です。

葬儀や法事で唱えたり聞いたりする事が多いお経。しかし、そもそもお経とは一体何なのか、誰が何の為に説いたものなのか、という事まで知っている方は少ないかもしれません。

また、お経は「亡くなった方に対して捧げるもの」という印象が強いという方もいる事でしょう。ですが、元々は私達生きた人間が人生の意味や目的を見つめ直す為に説かれたものなのです。

そこで今回は、お経とは一体何かという基本的な事から、宗派毎の違い、意味や種類、効果などを詳しく解説していきます。

目次

お経とは仏教を開いたお釈迦様が説かれた教えを記録しまとめたもの

お釈迦様
お経とは、一言で表すと「お釈迦様の教えをまとめたもの」です。お釈迦様と言えば仏教を開いた事で有名で、今から2600年程前にインドで活躍していたお方です。

仏の悟りを開かれた方の事を「ブッダ(仏陀)」といいますが、お釈迦様がブッダになられたのは35歳、12月8日の事でした。それからお亡くなりになる80歳の2月15日まで、約45年間、仏として様々な教えを説かれてきたのです。この教えを、今日では「仏教」と呼んでいます。

では、何故2600年も前に説かれた仏教を、現代の私達が知る事が出来ているのでしょうか。それは、お釈迦様の45年間の教えが弟子達によって語り継がれ、記録され続けてきたからです。

お釈迦様の教えは弟子達によって文字として記録されてきた

その昔、お釈迦様がいらした頃、“教えを文字として記録に残す”という慣習はありませんでした。何故なら、当時のインド人は文字を使う事がなく、全ての教えを暗記・暗唱する事に頼っていたからです。学びは記録するのではなく、覚える事が常であったのです。

しかし、お釈迦様が亡くなった後、優秀な500人の弟子達が集まり、お釈迦様が説かれた教えを確認し合ってまとめる事にしました。これを「仏典結集」と呼びます。その際、弟子達の中心的な役割を果たしたのが、お釈迦様に長くお仕えし最も多くの教えを聞いていた「阿難(あなん)」という弟子です。阿難は記憶力に優れ、お釈迦様の教えを非常によく覚えていました。

仏典結集では、まずこの阿難が「私はお釈迦様からこのようにお聞きしました」と問いかけ、それに対して他の弟子達が内容の正確さを確認し合い、間違いないと全員一致した内容のみを記録したと伝えられています。
実際に、今日に存在するお経の多くが「私は、このようにお聞きしています」という事を意味する「如是我聞(にょぜがもん)」「我聞如是(がもんにょぜ)」という言葉で始まっているのも、その為です。

この通り、お釈迦様の教えを弟子達が確認し合い、文字として記したものの事を「お経」というのです。また、葬儀や法事で聞く事が多い為、亡くなった方へ捧げるものという印象が強いですが、元々は弟子達を始めとする生きた人間に対してお釈迦様が説いたものであるという事が分かります。

宗派によって唱えられるお経とその内容は異なる

お経
45年間という長い期間、お釈迦様が説いてきた教えを記録したお経。一口に「お経」と言っても、その数は膨大です。当時は巻き物に書き残していた為、全て合わせて7千巻にもわたると言われています。正確な数は分かっていませんが、日本国内にあるお経だけでも、8万を超える種類があると言われているほどです。

更にその中でも、宗派によって唱えるお経や内容が異なります。ここからは、日本の葬儀や法事で唱えられる事の多い代表的なお経、「般若心経」「法華経」「阿弥陀経」について説明します。

彼岸に辿り着く為の智慧について説く「般若心経」の宗派や意味

お経の中でも私達に最も馴染みがあるのが、この「般若心経」ではないでしょうか。正式には「般若波羅蜜多心経(はんにゃはらみったしんぎょう)」と呼び、日本では宗派に関係なく使用されているお経です。特に法相宗、天台宗、真言宗、禅宗で使用されています。
日本で使用されている般若心経は、玄奘(三蔵法師)が訳したものがほとんどです。

般若心経は、お釈迦様の弟子の一人であった舎利弗(しゃりほつ)に対し、仏教菩薩の一尊である観音菩薩が教えを説く、という形で構成され、下記でご紹介するように、大きく4部に分けられています。

本文には様々な意味や解釈の仕方がある為、「○○が書かれている」と内容を断言するのは難しい事です。しかし、全体を通して「心安らかになる彼岸に辿り着く為には、どのような智慧=般若(全ての現象と、現象の背後にある道理を見極める心)をどのように身に着けるべきなのか」という事が説かれていると言われています。

以下では4部の大まかな内容をご紹介します。

【1部】この世のあらゆる物体に実態は無い

1部では、観音菩薩が悟りを得る為に行った修行の中で、人間を構成している色や形(体)、愛(感受)、想(記憶)、行(意志)、識(識別)の5つには実体が無いという事、それどころかこの世のあらゆる物体に実体は無い、という事に気が付いたと明らかにしています。

【2部】全ての物質的な存在は変化する

2部には、舎利弗に対する呼びかけがなされ、この世の全ての物質的な存在には固定的な実態が無く常に変化するという事、それ故にあらゆる形を得る事が出来、形を変える事も出来るという事が記されています。
そして、全てのものに実体が無いのであれば、何かが生まれる事も、老いる事も、死ぬ事も、汚れる事も清らかになる事も無いとも記されています。

【3部】全ての夢想や欲から離れた事で涅槃へ至った

3部もまた、舎利弗に対する呼びかけに続く形で記されます。
真実の世界において、目に見えるものや、それに対して感じる事・思った事なども実は存在していないという事、加えて、苦しみやそれを解決する方法や道も存在しないという事が書かれています。

だからこそ、観音菩薩は拘りを持たず、何に恐れを抱く事もなく、全ての夢想や欲から離れた事で涅槃(全ての煩悩が消滅した安らぎの境地)へと至る事が出来たと説かれています。

【4部】般若心経こそが全ての苦しみを鎮めるものである

最後は、この般若心経の考え方こそが智慧であり、全ての苦しみを鎮めるものであると説き、「羯諦・羯諦・波羅羯諦・波羅僧羯諦・菩提薩婆訶(ぎゃていぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじそわか)」という真言で締められています。この真言には、「往く者よ、往く者よ、彼岸に往け、正しく彼岸に往け、悟りよ、幸あれ」という意味があります。

少々難しい内容ではありますが、この世の中に固定的で実体のある物質は無いからこそ、全ての執着から離れ、真実を見抜いて生きていく事が平和に繋がると説いているのでしょう。
そして、この教えは仏様にだけ与えられるものでなく、この世にいる全ての者が持てる考え方であり、この真理を分かっている者こそが平和に生きられると説いているのです。

全ての存在には仏の心が備わっていると説く「法華経」の宗派や意味

「南無妙法蓮華経」というフレーズでも有名な「法華経」は、日蓮宗、天台宗などで唱えられています。法華経は代表的な大乗経典で、正式には「妙法蓮華経」といいます。数あるお経の中でも、お釈迦様が説いた教えの集大成とも言われていて、日本では聖徳太子が初めに講じた事でも有名です。

法華経は全部で28品からなるお経です。品(ほん)とは、現代で言う「章」の事だと解釈して良いでしょう。大きく分けて前半と後半に分けられ、前半14品を“迹門(しゃくもん)“、後半14品を“本門”と呼びます。

前半部分である迹門には、「この世に存在するものには、全て平等に仏性、つまり仏の心が備わっている」という事が説いてあります。“仏性を持っている”のは人間に限った事ではなく、動物、植物、大地、この世に生を受けた全てのものであり、その全ての仏に感謝の心を持ち、手を合わせる事が大切だとも説かれています。

また、後半部分である本門には、「お釈迦様は永久不滅の仏である」事、そして「この教えを信じて実践する者こそが至福への道へと辿り着く」と説かれているのです。

法華経に出てくる「南無妙法蓮華経」というフレーズですが、「南無」には仏を一心に信じ念じるという意味が、「妙法蓮華経」には、お釈迦様が説いた智慧と慈悲、そして功徳が全て詰まっていると言われています。

法華経とは、全ての存在に備わっている仏の心を信じ、南無妙法蓮華経を口に出して唱える事で、自分自身の中に確かに存在している仏の心を呼び起こそうとするお経なのです。

極楽浄土に生まれる為の方法が記される「阿弥陀経」の宗派や意味

無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経の3つのお経を「浄土三部経」と呼びますが、中でも特に私達に馴染みがあり、日常でも使われる事が多いのが「阿弥陀経」です。正式には「仏説阿弥陀経」と呼び、浄土系の各宗派の葬儀や法事でよく読まれます。比較的簡潔にまとめてある点が特徴です。

また、弟子からの問いかけに対しお釈迦様が仏教を説く…というように対話形式で記されているお経が多い中、阿弥陀経では弟子からの質問を待たず、お釈迦様自らが語り始めているという事で「無問自説の経」とも呼ばれます。

阿弥陀経には、極楽浄土の美しい景色の様子や、荘厳、そこへ存在する仏様や聖衆(しょうじゅ)の徳が細かく記されています。そして、極楽浄土へと生まれる為の方法も記されています。それは、「一心に念仏する事」です。自力で善根(良い結果をもたらす為の行為)を積むだけではいけないと説かれているのです。

また、東西南北、上、下とあらゆる方角にいらっしゃる「六方の仏様」は、念仏する事のみが極楽浄土へ生まれる方法であると証明し、この念仏の法を褒め称えていると記されています。

ちなみに、浄土三部経の「無量寿経」には、阿弥陀様の救いの願い・誓いである本願が、「無量寿経」には阿弥陀様の浄土を見る様々な修行法と念仏の法が、そしてこの阿弥陀経には、「念仏により阿弥陀様の浄土に生まれる事が出来る」という事が記されています。

生きている私達がお経を読み唱える事の意味や効果

数珠を持つ女性冒頭でも触れたとおり、元々お経は亡くなった人の為に説かれた教えではなく、生きた人間に対し、本当の幸福へと辿り着く道のりや方法を説いたもの。それを踏まえた上で、実際にお経を読み、唱える事の意味や効果を見ていきましょう。

自らの生き方を見直すきっかけや心の安らぎを得られる

人は必ず死を迎えるにも関わらず、何故苦しくても生きなければならないのか、という人生に対する問いかけと、その目的や答えを、お経を読む事で感じ取る事が出来ます。亡くなった方を縁としながらも、葬儀や法事でお経を唱えたり聞いたりする事で、参列した私達の限りある人生の意味や目的を改めて見つめ直すきっかけになるのです。

また、お経は唱えるだけで心が安らかになるという効果もあります。お葬式や法事で唱えられるお経は、家族を始めとする残された周囲の人々の悲しみと心を癒してくれるものでもあるのです。
日常生活においても、不安や怒り、ストレスで心が乱れている時にお経を唱えると、心が穏やかになり精神の安定を図れるという効果があります。

亡くなった方の功徳廻向を願い安らかに眠ってもらう為

元々は生きている人間に向けたものであるとはいえ、お葬式や法事でお経を唱えるのは「亡くなった方の安らかな眠りと幸福を願う為」という目的もあります。これを功徳廻向とも言います。

仏教では、お経を唱える事そのものが功徳とされています。功徳とは、善良な行いをする事で生まれる徳の事で、廻向(えこう)は生まれた徳が回って更なる善い結果をもたらす事を指します。

つまり、お経を唱える事で亡くなった方へ対する徳を生み、その徳が安らかな眠りに繋がるようにという意味があるのです。同時に、お経を唱える事で生まれた功徳が生きている人間にも及ぶように、という意味もあります。

亡くなった方に自身の死を自覚させ成仏してもらう為

生まれ変わりや死後の世界を信じていた方や、病気などで死期を悟っていた方は、比較的時間をかけずに自分の死を感じ取り、認め、お迎えとともに死後の世界へ旅立っていくと言います。
しかし、実際に生まれ変わりや死後の世界を心から信じているという方は少なく、自分が死んでもその自覚が持てずに現世に留まっている魂も多いようです。

そのような浄化していない魂に対してお経を唱える事で、「貴方は亡くなった魂である」と自覚させ、死後の世界へと導く効果があるという説もあります。
本来は、生きている者が自らの生き方を見直し、亡くなった故人を偲ぶものですが、このように死者に語りかける事で死を自覚してもらい、成仏してもらうという意図もあるのですね。

まとめ

以上、お経の概要から宗派毎の違い、意味や種類、効果などを解説しました。
宗派毎に使われるお経の種類や意味は異なりますが、どのお経にもお釈迦様の貴重な教えが詰まっている事、そして仏教の世界や教えを心から信じる者こそがお経によって救われるという事を意識しておくと良いでしょう。きっと更なる効果が得られます。どんなお経も、念や気持ちを込めながら唱えるようにして下さいね。

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