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幽体離脱(体外離脱)を実際経験した人が語る、やり方や体験談4選

幽体離脱

こんにちは、管理人の凛です。

学生の頃、夏休みの旅行で雑魚寝した時に、友だちの顔にふざけて落書きしたことがありました。酔った勢いでしたし、起きた時に大笑いしたけれど、なんとなく嫌な感じが残ったことを覚えています。

数年後に各地の民間信仰を調べていた時、

「眠っている人の顔に何か描いて顔を変えると、就寝中に身体から離れていた魂が帰ってきても自分がわからなくなって身体に戻ることが出来ない」という内容の文章を見つけてぞっとしました。

これは「就寝中の幽体離脱」を前提とした戒めですね。

今回は、幽体離脱(体外離脱)を実際経験した人のお話を集めてみました。

1、2は自分から試してみることが不可能な幽体離脱です。

3、4はやり方次第で幽体離脱に似た体験が出来るかもしれません。

目次

確かな幽体離脱―臨死体験の話

暗いトンネル
近代神智学以降、人間は物質的な存在としての身体の上にエーテル体、アストラル体、などと呼ばれる霊的エネルギーによる多層構造で出来ていると言われています。

幽体離脱とは、人間が物質的な身体を残して霊的な部分だけ離れてしまうことです。

この幽体離脱の代表的な体験談として有名なのが臨死体験です。

「幽体離脱」の実証例として一番信憑性があると言えるでしょう。

瀕死の人が体験する魂の旅が臨死体験

危篤状態になった人、あるいは、すでに臨終を宣告された人が、身体は病室のベッドの上に残したまま「あの世」のような別世界に行ったという体験です。

死に瀕している身体はどこにも移動していませんが、息を吹き返した本人は、その間体験したいろいろな話をします。世界各地で宗教が違っても、極めて似たパターンの体験を話すところが驚きです。

病室の天井から自分の横たわっている姿を見ている

身体から離脱すると、自分が非常に自由になったと感じるそうです。身体にあった病気や怪我による苦痛は全く感じず、身体がとても軽く感じるそうです。

泣いている家族を見て心を痛め、一生懸命「自分はここにいる」と訴えても家族には何も伝わらなかった、というケースがほとんどです。

病室の外に出て気にかかる場所に行ったりする

身体は壁を通り抜け、行きたいと思う所に瞬時に行ける場合が多いようです。自分の家に行ったり、遠くに住む家族や親族、友人のところに行ったりします。

突然暗転…暗いトンネルを通り抜け見たこともないような明るい場所に

トンネルを通り抜ける時は「ものすごいスピードだった」という人が多いようです。そして明るい光の世界に出ます。そこは得も言われぬ充足感に充ちた世界だそうです。明るい光の世界が美しい一面の花畑であるケースもあります。

日本人など仏教の影響のある国の人の経験だと、この場面に川が登場することがあると言うことです。

亡くなった親族や友人と再会する

この光の世界で、既に亡くなった自分の家族や親族友人に再会します。この時点で、臨死体験者は、自分が死後の世界に来たことを確信するようです。

亡くなった親族などから、「ここにまだ来るべき時ではなかった」「もう帰るように」と諭されて、気がついたら病室のベッドの上だった、というケースが大半です。

高次の存在を感じたり高次の世界の仕組みを教えてもらう

稀なケースですが、親族や親族以外の人から「あの世」の案内をして貰う人もいます。ソウルメイトやこれから生まれてくる予定の魂たちに会ったり、霊界の仕組みや構造、この世との関わりなどを学んだりする機会を与えられることもあります。

そして、非常に高次な存在を確信し、霊的な学びの重要さを悟り、何らかの使命を帯びて自分の身体に戻り蘇生するのです。

臨死体験については古くから「黄泉(よみ:死後の世界のこと)がえり」の逸話として数多く伝えられていますが、アメリカの医学者エリザベス・キューブラ=ロスが1969年に『死ぬ瞬間』を出版し、その後も「臨死体験」を経験した数多くの患者のケースを紹介しました。

日本でもジャーナリストの立花隆が『臨死体験』を出版しています。「幽体離脱」よりも、「臨死体験」という言葉のほうが一般的かもしれませんね。

睡眠時の「幽体離脱」―夢とは言えない場合の話

お茶
世界各地の民間伝承に多いのはこのケースです。

重病の病人がお寺を訪問した話

柳田国男の『遠野物語』に載っている話です。

ある人が、道で知人に会って立ち話をしたそうです。その知人はそれからお寺に詣でて僧侶と面会し、お茶まで飲んで帰ったそうです。

ところが後でその人が聞いたところ、知人は重病で臥せっていて、とても出歩ける状況ではなかったとのこと。そしてその数日後には亡くなっていたそうです。驚いて僧侶に確認したら、知人がお茶を飲んだ時お茶をこぼしたシミまで畳に残っていたそうです。

眠っていた2人の人の魂が入れ替わった話

記録にある9世紀頃の話です。

ある時、2人の旅人が雨宿りをしている間に隣り合って寝てしまいました。雨があがったので、他の人が2人を急に起こしたところ、あまりに急だったためか二人の魂が入れ替わって身体に入ってしまい、お互いに自分の家に帰っても家族が認めず困ってしまいました。

そこで元の場所に戻って同じように眠り、起きたところ、魂はそれぞれ正しい身体に戻ったそうです。

各地に「魂がもどれなくなるから眠っている人を急に起こしてはいけない」という言い伝えがあるのはそのためだそうです。

夢で幽体離脱した話

夢
個人的な体験談としてはこのケースが一番多いでしょう。

しかし、信憑性を問われると「これは幽体離脱」と断言出来ません。

なぜなら、夢が脳内の脳波や電流などの変化によって引き起こされるイメージなのか、実際に霊体が離脱しているときに見ているビジョンなのか、誰も証明出来ないからです。

しかし、夢にまつわる不思議な経験や気になる夢をよく見る人は、「夢日記」を付けましょう。

何度も夢で見た見知らぬ場所が現実に存在したケース

ある知人の話です。彼女は何度も夢で見る場所がありました。

海を見下ろす傾斜地にある家なのですが、門が小道に面していて、敷地内に入るには数段の階段を降りなければなりません。

つまり、道よりも低い所に家が立っているのです。家屋は大きくも小さくもなく、和風の造りで、玄関が引き戸でした。家の背後には緑の多い山が見えました。

この家にはまったく覚えがなく、夢の中でしか見たことがなかったそうです。

その夢を見るようになってから10年後に、彼女は中古住宅の物件を探していたのですが、不動産業者に案内されて見学に行った物件を見て腰が抜けそうになったそうです。その物件は何度も夢に見ていた家とそっくりだったからです。

彼女は今その家に住んでいます。彼女の霊体が前もって何度もその場所に来ていたのでしょうか?

知らない土地なのに「この場所知ってる!」とはっとする経験をしたことがある人もいるでしょう。それは覚えていなくても夢の中で繰り返し訪れていた場所だったからかもしれません。

夢で何夜もかけて死後の世界を教えてもらった話

知人のお父さんの話です。お父さんは末期がんで入院していましたが、幸いあまり苦しむことなく数週間の入院の後に亡くなりました。知人はほぼ毎日夜の間お父さんに付き添っていたそうです。

朝になるとお父さんは毎日のように夢の話をしてくれました。

その話によると、毎晩、天井の方に穴が開いて、優しい人が自分を空の上に連れて行ってくれる、というのです。そして、その空の上の世界は素晴らしいところだけれど、まだ自分にはそこで暮らすための準備が足りないので、毎晩勉強をしに通っている、とのこと。

日毎に天井の穴は大きくなっている、とお父さんは話していたそうです。

亡くなる前の日の朝、「ようやく勉強が終わったよ。わたしはやっとあの世界に行ける。そこでわたしは学校の先生になるんだ。」とお父さんは満足そうに話してくれました。実際、現役時代は校長先生だった人です。

「引導を渡す」という言葉があります。

今では「最終宣告」という意味で使われますが、仏教用語では「死者を仏の道に導く」という意味です。チベットでは、死ぬ準備が出来ていない瀕死の人には僧侶が毎日傍らで仏の道を教える習慣があるそうです。

知人のお父さんは毎晩幽体離脱して、「仏の道の学校」に通っていたのかもしれませんね。

夢日記の付け方

夢日記の付け方は自分のやりやすい方法でよいのですが、夢を見た日時、夢の内容、特に印象に残っている部分、イメージ、感想、そして前日の行動を書いておきましょう。特別な出来事が会った日や、感情に大きな動揺があった日は夢に現実の影響が出やすくなります。

時々読み返して、何度も見る夢があれば、その前後の出来事に関連がないか調べてみましょう。

何かのメッセージ性を感じれば、夢を見ている時に幽体離脱している可能性もあります。

瞑想体験は幽体離脱に似た感覚を得られる

瞑想
瞑想時に人間の脳波はγ(ガンマ)波という物事の統合機能を調整し、作動記憶を活性化させる脳波が多く出現する事がわかっています。また同時に、睡眠時に近い安らかな状態で出現するθ(シータ)波もたくさん出ています。θ波は深い洞察に関係がある脳波と言われています。

脳波の特徴から、瞑想している人の脳は非常に高次の知恵に気づく感覚的な体験をしている状態と推測されます。

瞑想修行をして悟りを開いたブッダをはじめ、宗教者に瞑想経験者が多いのは納得ですね。

そこに目をつけたのが最近の瞑想をして幽体離脱をしようという人たちで、方向性としては間違いではありません。

瞑想時の脳は幽体離脱に似たような感覚を味わえる可能性もあるからです。

瞑想をして幽体離脱をしたという体験談はたまに聞きますが、それが本当の幽体離脱体験かどうか判断出来ません。

そこで今回は2つのタイプの瞑想方法で得られる「幽体離脱のような瞑想体験」を紹介します。

瞑想には高次の存在と一つになる「合一瞑想」タイプと、すべてを虚心に観察する「観察瞑想」タイプがあります。

合一瞑想による幽体離脱のような体験

チベット密教の瞑想法のひとつを紹介しましょう。

金剛菩薩(ヴァジュラサットヴァ)の瞑想の方法です。チベット密教では菩薩が単体ではなく、男女の抱き合った姿で表されているのが特徴ですが、このヴァジュラサットヴァも明妃(ニェムマ)という妃と融和する姿で現されています。

  1. 頭上50cmに蓮の花、その上に白い梵字をイメージする
  2. 梵字がヴァジュラサットヴァとニェムマに変化する様子をイメージし続ける
  3. マントラを唱えるとヴァジュラサットヴァとニェムマの間でマントラの文字が解けて甘露のように流れ落ち、瞑想者も満たす
  4. 瞑想者の身体から汚れた黒い液体が流れ出す
  5. 甘露は瞑想者を清め、そして、地上のすべてを浄化する
  6. ヴァジュラサットヴァとニェムマが光のように融合し、瞑想者に溶け込み、瞑想者はヴァジュラサットヴァとなりニェムマを抱く
  7. 瞑想者の胸に月輪に乗るマントラの梵字が現れ、発光し、ヴァジュラサットヴァの東方浄土を照らし出す
  8. 東方浄土は瞑想者に溶け込み、瞑想者はマントラの梵字に溶け込み、梵字は光のしずくに溶け込み、光のしずくは空間に溶けて消える
  9. もう一度ヴァジュラサットヴァの東方浄土をありありとイメージし続ける
  10. 瞑想による荘厳な世界のイメージと、それらが光にしずくとなって消えたなにもない世界のどちらにもこだわることなく、同時にその両方の世界に存在する感覚を保ちながら瞑想から覚める

いかがでしょうか。自分の体がまばゆい光の世界に溶け込み、一体となるような感覚、また、現実世界もまばゆい光の世界も同時に自分の中にある不思議な感覚を味わえたでしょうか。

観察瞑想による幽体離脱のような体験

瞑想
ヴィパッサナー瞑想の瞑想法を紹介しましょう。ヴィパッサナーとは、「ありのままに見る」という意味です。ヴィパッサナー瞑想はブッダが菩提樹の下で悟りを開いたときの瞑想法と言われています。

  1. 静かな部屋で、背筋を伸ばして座ります。正座でもあぐらでもかまいません。
  2. 背筋を伸ばすことに意識を集中し、目を閉じます。
  3. 自分の呼吸を観察します。息を吸っている、吐いている、という状態に気持ちを集中します。お腹や胸が膨らむ、凹む、といいった感覚に集中してもかまいません。様々な雑念が起こっても気にせず、そのたびに呼吸の観察に戻ります。通常はここまでで5分間くらいから初めて、1時間くらい続けられるようになったら次に進みます。
  4. 頭の天辺から足の先まで、丁寧に観察します。しかし、実際には目で見ることは叶いませんから、肌の感覚を観察するのです。しかし、触るわけではありません。例えば右の眉を観察するときには、右の眉に当たる空気を眉毛の一本一本で感じる、そのような感じです。

これで全身を観察します

ここまでが出来るようになったら、音の観察、ふと湧いてくる感情の観察、とりとめない思考の観察、と進めて行きます。

ヴィパッサナー瞑想はある状態やある境地を目標にはしません。目の前にあること、「たった今」に気づき続けるだけです。

「たった今」を意識していくうちに、大きな平安に包まれていることに気が付きます。

ヴィパッサナー瞑想家体験者は囚われから解放され、自分らしい生き方が出来るようになったと語る人が多いようです。

合一瞑想のように、感覚的な恍惚感はないかもしれませんが、幸福感に包まれた特別な体験が出来そうです。

また、ヴィパッサナー瞑想のような観察瞑想を継続していると、意識的に身体の力を抜けるようになります。よい状態で睡眠に入ることが出来るようになるので、身体の緊張に左右されない夢を見られます。

その意味で、夢で幽体離脱しやすくなるかもしれません

ヘミシンク・サウンドを聴きながら瞑想する

ロバート・A・モンローが開発したヘミシンク・サウンドという瞑想時の脳波を参考にした「体外離脱メソッド」があります。

脳波をコントロールする音をヘッドホンで聞きながら半覚醒状態に入る体験を1日に数回、1週間連続して体験するプログラムのようです。各自が洞窟のような個室で過ごす、一種の瞑想体験です。

いろいろな体験談がネットにありますが、成功したと言う人もいれば、なにも起こらなかった人もいます。プログラム参加にはお金もかかりますし、トライするなら自分なりによく検討してからが良いようですね。

まとめ

「幽体離脱をした」という体験談は、臨死体験以外はあまり信憑性がないようですが、証明は出来ないものの、夢と幽体離脱の関係は深そうです。

瞑想そのもので幽体離脱体験をするのも訓練が必要。それでも夢で幽体離脱するための準備になるかもしれません。

ところで、幽体離脱をよく経験する人や同じような悪夢を見る人は、もしかしたら「乖離(かいり)」というPTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状かもしれません。つらい思いを我慢せずに信頼出来るセラピストやカウンセラーに相談して下さいね。

瞑想も、心が疲れているときには症状を重くすることがあるので、心の病気の人は主治医に相談してからトライしましょう。

 

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