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【やさしい仏教入門】仏教の開祖、仏陀の教えとその生涯を解説

こんにちは、管理人の凛です。

今回は、仏教の開祖である仏陀について、その教えや生涯について解説いたします。

仏陀はどのような環境で生まれ、何を感じ、何を思い、そしてどのようにして仏の道に進んだのでしょうか。

仏陀の生涯、そして教えを知る事で、より仏教について理解していく事が出来ます。

目次

仏陀は実在する歴史上の人物

仏陀は神様のように捉えられていますが、実際には私たちと同じ人間であり、歴史上の人物の一人です。

その生涯は様々な書物に残されており、仏陀の生きてきた道を知る事が出来ます。

仏陀の生涯を、順追って見ていきましょう。

仏陀(シッダルタ)は2600年前の4月8日に誕生する

誕生

仏陀が生まれたのは今から2600年前の事です。

インドの北部、現在のネパールの釈迦族の王子として仏陀は誕生しました。

仏陀の母親であるマーヤー婦人は出産の為の里帰りの途中、ルンビニー園に差し掛かった頃に産気づいてその場所で出産しました。

この時に言い伝えられているのが、仏陀は生まれてすぐに東西南北に7歩ずつ歩き天と地を指さして「天上天下唯我独尊」と言い放った、というエピソードです。

また、仏陀の誕生日は4月8日です。

この為、毎年4月8日には仏教では仏陀の誕生日を祝う為に花祭りが開催されます。

その後仏陀の母親は、仏陀が誕生して1週間後に亡くなってしまいます。

仏陀はシッダルタと名付けられ、父親に大切に育てられていきます。

「素晴らしい人になる」とアシダ仙人の予言を受ける

シッダルタの父親は、シッダルタの幼いながらも聡明な様子に気づき、将来どんな人間になるのかを仙人に訪ねにいきました。

この仙人は国一番の占い師で、名をアシダといいました。

アシダ仙人はシッダルタの顔を見るなり涙を流し、一目見てシッダルタが只者ではない事を言い当てました。

世界に二度と現れないような素晴らしい人間になるに違いなく、自分は高齢の為その将来を見守れない事が悲しい、といって涙を流したのです。

アシダ仙人は、シッダルタは全世界を支配する転輪王か、無上の悟りを開く仏陀になるだろうと言いました。

その後シッダルタの父親はシッダルタを転輪王にする為に、様々な教育を施すようになりました。

国で一番の学者だったバッダラニーと、国で一番の武芸の達人であったセンダイダイバーをシッダルタの家庭教師につけ、幼い頃から本格的な教育を始めます。

しかし、その後学者のバッダラニーが家庭教師を辞めたいと言い始めました。

父親がその理由を尋ねると、「シッダルタ王子は非常に賢く、既に私が知らない事まで知り尽くしており、教える事が何もない」と言うのです。

さらにその後武芸の達人であるセンダイダイバーも辞めたいと言い始めました。

父親がその理由を尋ねると、「シッダルタ王子は弓を百発百中で命中させる。どんな暴れ馬も乗りこなす。私に教えられる事はもう何もない」と言うのです。

結局二人の家庭教師は辞めてしまい、その後シッダルタは一人で学問に勤しみ、武芸を磨くようになっていきました。

物思いにふけるようになるシッダルタ

その後もシッダルタはすくすくと成長し、何一つ不自由のない暮らしを続けました。

しかしシッダルタは時折物思いにふけるようになっていきます。

父親がその理由を聞いてもシッダルタは答えようとしません。そこで彼の為に妻を用意しました。

こうしてシッダルタは19歳の時、国で一番の美女と結婚する事になりました。

二人の間に子供が生まれ、その子はラーゴーラと名付けられました。

ラーゴーラとは「束縛者」という意味です。これは、子供を育てる為に時間やお金や生活そのものを束縛される、という意味とも捉えられています。

妻と子供に囲まれ、裕福な環境で生活を続けるシッダルタですが、それでも彼の悩みがなくなる事はありません。

父親はどんどんシッダルタが望みそうな立派な住まいや美女、食べ物等を与えますが、それでもシッダルタの様子が変わる事はありませんでした。

シッダルタの3つの悩み

出家

とうとうシッダルタは父親に長年の悩みを打ち明けました。

その悩みというのは3つあり、

1つ目はいつまでも若さを保ったままでいたい事。

2つ目は病気で苦しまない事。

3つ目は死なない肉体を持つ事。

というものでした。当然そのような願いを叶えてあげる事は出来ず、父親は必死にシッダルタを説得しようと試みます。

それでもシッダルタの考えは変わる事なく、ついに家を出たいと言い出すようになりました。

どんなに地位や名誉、お金、家族、才能を持っていても、いずれそれらに見捨てられる時が来ます。

その事を知ってしまったシッダルタは、どうすれば本当の幸福を見つけられるのか、幸福な人生を歩めるのかという事を考えるようになりました。

そして29歳の時、シッダルタはいよいよ出家をします。

シッダルタは裕福な暮らしを捨てて出家する

シッダルタの出家を知った父親はすぐにシッダルタを捜索するように手配します。

その中の一人、キョウチンニョが修業中のシッダルタを発見しました。

キョウチンニョは修行をしているシッダルタに「なぜ裕福な暮らしを捨てて出家しようと思ったのか」と尋ねます。

シッダルタは「全ての物事は滅んでいき、常に傍にいてくれる訳ではない。それでは永遠に不安な気持ちはなくならない。どんなに努力して富や名声を得ても裏切られてしまうのなら苦労をする意味がない。そんな儚い一時的な幸福には何の意味もないという事が分からないのか」と逆にキョウチンニョに問いかけます。

キョウチンニョはシッダルタの言葉を聞き気持ちを改めて、一緒に修行をするようになりました。

厳しい修行の末に悟りを開いたシッダルタ

シッダルタは厳しい修行に勤しむ日々を送ります。

その修行は私たちの想像を絶するようなもので、呼吸を止めたり、直射日光に当たり続けたり、断食をしたりといった極端なものばかりでした。

当然シッダルタの心身はやせ衰えていきますが、それでも苦しみから解放される事はありません。

とうとう極限状態になったシッダルタは、菩提樹の下でこれまでの事を思い出しました。

裕福で何一つ不自由のない暮らしをしてきた日々と、現在の全てを抑圧した厳しい日々。

そしてシッダルタは、極端な考え、極端な生活をしていては本当の幸せを得る事は出来ないという事を理解します。

これがきっかけでシッダルタは悟りを開く事が出来、仏陀=悟りを開いた人、となったのです。

仏陀が悟りを開くまでには6年の修行を要し、35歳になっていました。

仏陀はその後80歳で亡くなるまでの45年間に渡り、仏の道、本当の幸福を得る為の教えを説き続けます。これが今日の仏教の始まりです。

仏陀が生涯をかけて説き続けた教え

修行

仏陀は亡くなるまで、修行を経て得た教えを多くの人に説き続けました。

そもそも仏陀が出家をしたのは、老いや病、死といった苦しみから解放される事を望んだからです。

この苦しみとは何かを知り、さらに苦しみを乗り越えるには何をすれば良いのか、というのが仏教の基本的な教えでもあります。

仏陀は悟りを開いてから、「中道」「四諦」「八正道」の三つの教えを説きました。

「中道」とは極端な修行は悟りを開く為には無意味である事、つまり何事も偏った考えでは成就しないという事を示しています。

「四諦」とは自分自身の悩み、苦しみについて説明したものです。これは4つに細かく分類されている為、下記で説明します。

【苦諦】ありのままの人生を見つめ直す

仏陀はまず、自分のありのままの人生を見つめ直す事から始めました。

自分の人生、つまり自分自身を知らなければ、本当の意味での幸福を得る事は出来ないと考えたのです。

人は生きている事自体の苦しみ、老いる事の苦しみ、病に倒れる事の苦しみ、さらに死ぬ事の苦しみから逃れる事は出来ません。

また、愛する人との別れや憎い人に会わなければならない苦しみ、欲しいものを欲しいままに出来ない苦しみ、さらに生命力が強い事で起きる苦しみからも逃れる事は出来ず、これらをまとめて四苦八苦と呼びます。

人生をある一点から見つめるとこれらの苦しみは見えてこない事もありますが、人生そのものをしっかり見つめ直す事でこの苦しみの実態を知る事が出来ます。

仏教の悟りを目指す道は、人生は苦しみの連続である事を理解する事から始まります。

【集諦】苦しみの原因を知る

欲望

病気を治す為には病気の原因を知る必要があります。

仏教では、苦しみを癒す為には同じように苦しみの原因を知る事が大切だと考えられています。

集諦は、苦しみの原因を解明していく為のステップです。

人生のあらゆる苦しみは煩悩によるものだと仏陀は教えました。

煩悩とは欲望や怒り、愚かさを意味します。

お金が欲しい、愛が欲しい、名声が欲しいと思えば思うほど苦しみは増し、例え手に入ったとしても一瞬の喜びを得る事しか出来ません。

手にしたものを手放したくない、もっと増やしたいという欲望は、さらにその人だけでなく周囲の人も苦しめる事になります。

また怒りの心を持つ事で社会はより住みにくいものになっていきます。

そして愚かな心はムダな行いに力を費やす事になり、人生を豊かさ、幸福とはかけ離れたものにしてしまいます。

煩悩は自己中心的な判断のもとに生まれます。自分の思い通りにしたいという自分勝手な気持ちを捨てなければ悟りを開く事は出来ないのです。

【滅諦】煩悩を打ち消す為の滅諦

苦しみの原因、煩悩の正体が分かったら、次に煩悩を打ち消す為には何をすれば良いのかを知る必要があります。それを示したのが滅諦です。

滅諦は煩悩がなくなった状態、つまり涅槃を目指すステップです。

仏教では諸行無常、諸法無我という考えがあります。これは全てのものは移り変わり、また不変の実態というものはないという事です。

いつしか滅んでしまうものに執着し、煩悩を抱くのはムダな事です。

これはお金や食べ物等目に見えるものだけでなく、恋人、地位や名誉といった人間関係にまつわる事、さらには健康な肉体、確立した自分自身といったものにも当てはまります。

全てのものは変化し滅んでいくという事を理解し、煩悩を抱いてもムダだという事を知る事が大切です。

【道諦】苦悩を乗り越えて涅槃を目指す

涅槃

道諦では、生きる事の苦悩を乗り越えて涅槃を目指す道を考えていきます。

苦しみから逃げるのではなく、苦しみと向き合い、正しい行いをする事で乗り越える事が出来る、という考え方です。

これが「八正道」で、正しく物事を見る、正しく考える、正しく語る、正しい行いをする、正しく生活する、正しく努力する、正しく念じる、正しく心を決めるという事をまとめてこのように呼んでいます。

仏陀の教えがまとめられた教典

仏陀は生涯をかけて多くの人に仏に教えを説き続けましたが、その内容が文字として残る事はありませんでした。

仏陀の教えは聞く人によって解釈が異なり、同じ話を聞いてもその人が置かれている環境やその時の気持ちによって違うように理解されて広まったものもあります。

仏陀の教えがまとめられたのは、仏陀の死後の事でした。

これが現在の「一切経」と呼ばれるもので、なんと7000巻以上ものボリュームがあります。

一切経は初めて編成されてから何度も編集が繰り返され今日の形になっていったと言われています。

仏陀が人間としては超越しているようなエピソードが沢山あるのも、編集の際に弟子たちが「お釈迦様は普通の人間よりももっと優れた能力があったに違いない」という気持ちを込めて書き記したから、または言い伝えを書き残したからだと考えられています。

一切経が完成した事で仏教はより世界に広まる事となりました。

まとめ

仏教の開祖である仏陀の生涯と、仏陀の教えをご紹介いたしました。

仏陀の生涯を知る事で、仏陀の偉大さ、仏教を学ぶ事、悟りを開く事の大切さを知る事が出来ます。

今日まで語り継がれている仏陀の生涯から、人生において本当の幸福とは何か、私たちはその為に何をしなければならないのかを考えてみましょう。

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