【やさしい仏教入門】賽の河原とは?石積みなどについても解説!
こんにちは。管理人の凛です。
今回は、三途の川にあると言われている賽の河原についてご紹介いたします。
賽の河原では、親より先に旅立ってしまった幼い子供達が石積みをさせられています。
どんなに積み上げても鬼に蹴飛ばされてまた一から積み上げなければなりません。
子供達はなぜこのような苦しみの中にいるのか、またどのような意味があるのかについて見ていきましょう。
賽の河原は三途の川にある河原
賽の河原とは、三途の川にある河原の事です。
人は死ぬと三途の川を渡る事になる、というのは仏教に詳しくない方でもご存知でしょう。
三途の川を渡ると次に何に生まれ変わるのかが決まります。
賽の河原は、三途の川を渡る手前にあります。
そこでは小さな子供が石を積み上げています。
石を積み上げたとしても鬼が現れて、その石の塔を壊してしまいます。
小さな子供たちは、一日中石を積み上げ続けなければなりません。
「賽の河原和讚」で描かれた賽の河原の様子
賽の河原で石を積み上げている子供は、親よりも先に亡くなってしまった子供達だと言われています。
実は、これは仏教的に根拠があるものではありません。
しかし、鎌倉時代の法相宗の僧侶が記した「賽の河原和讚」に書かれた内容が、今日の賽の河原のイメージを作り上げたとされています。
「賽の河原和讚」では、賽の河原について下記のように書かれています。
この世は無常であり、子が必ずしも親より長生きするとは限りません。
親より先に亡くなった子供は、賽の河原に行く事になり、石を積み上げて仏塔を立てなければなりません。
「1つ積んでは父の為、2つ積んでは父の為」と言いながら、毎朝毎晩石を積み上げます。
子供たちの手足は石に擦れてただれ、指からは血が出ています。
体中が血に染まり、父や母の助けを求めても助けてもらう事は出来ません。
泣いていると鬼が現れて、積み上げた仏塔を壊します。
仏塔が完成する事はなく、子供達はいつまでもいつまでも最初から石を積み上げなければなりません。
石を積み上げる事で徳を積む事が出来る
そんな賽の河原の情景を思い浮かべると、とても切なく、苦しい気持ちになります。何故、幼い子供達が賽の河原で石を積み上げさせられているのでしょう。それは、前述したように、石を積み上げる事で仏塔を作らせる為です。
仏教では、仏塔を作ったり仏像を作る事は大きな徳に繫がると考えられています。
小さな子供が立派な仏塔や仏像を作る事は出来ませんが。そこで、石を積み上げて仏塔を作って徳を積み、親の平穏、幸福を祈らせるのです。
しかしどんなに石を積み上げても鬼がやってきて壊してしまいます。
これは無意味なものではなく、きちんとした理由があります。
それは、未だに子供の祈りが親に届いていないから、というものです。
親がまだ子供の死を悲しんで救われない状態のままでは、いつまでも賽の河原の石積みを止める事が出来ません。
賽の河原から開放してくれる地蔵菩薩
賽の河原の石積みから開放される方法には諸説ありますが、「地蔵和讚」には地蔵菩薩が子供たちを救ってくれるという旨が記されています。
積み上げた石を鬼に壊されて泣いていると、地蔵菩薩が現れて「私を冥土での父母と思いなさい」と抱きしめてくれます。
そして子供たちは石積みから開放されて、三途の川を渡り次の道へ生まれ変わる事が出来ます。
この「地蔵和讚」は江戸時代ごろに民間の間で広まっていきました。
それと同時に地蔵菩薩、つまりお地蔵様は子供を守ってくれる仏様だという事が信じられるようになっていきます。
当時は幼くして子供が死んでしまう事も多く、賽の河原和讚の内容はあまりにもひどく救いがないと思われていました。
そこで地蔵菩薩のように子供を救ってくれる存在があると理解する事で、子供を亡くした父親、母親も救われたのです。
賽の河原では、積み上げた徳が現世の両親に届かなければなりません。
それは反対に言えば、現世の父親、母親がいつまでも子供の死を嘆き悲しんでいるとその子供は賽の河原から開放される事はない、という事でもあります。
あの世では子供は地蔵菩薩に守られているから、亡くなってしまった子供に執着するのはやめて、幸福になる方法を探しなさい、という事を、「賽の河原和讚」や「地蔵和讚」では伝えようとしているのです。
親より先に死ぬのは五逆罪のひとつ
親より先に死んでしまっただけでこのような苦行を強いられる子供はかわいそうに思えますが、仏教では親より先に死ぬ事は五逆罪のひとつとされています。
五逆罪には父親や母親を殺したり親不孝をする事も含まれています。親より先に死ぬ事は親不孝という考え方があるのです。
幼い子供は仏教を知りませんが、知っている、知らないに関わらず、因果応報の報いは受けなければなりません。
子供本人が知る由がなくても、生前の親不孝は地獄の底に轟いており、死後その罰を受ける事になります。
親より先に死ぬ以外にも、親が痛い思いをして産んでくれた事を忘れて自分勝手に振舞う事も立派な親不孝と考えられています。
その他五逆罪には、高い悟りを開いた羅漢を殺す事も挙げられます。
仏教の正しい教えを破ったり、仏教に従って生きている人の邪魔をする事も五逆罪のひとつです。
さらに仏身の体から血を流させるのも五逆罪です。
ここで言う仏身とはお釈迦様の事で、お釈迦様を殺そうとしたダイバダッタという男がいました。
彼はお釈迦様を三回暗殺しようと目論みますがいずれも失敗し、最後は策に溺れて苦しみながら死んでいったとされています。
このように五逆罪のいずれかを背負った者は、死後無間地獄へ落とされます。
無間地獄とは地獄の中でも一番恐ろしいところで、途方もなく長い年月を、想像を絶するような苦しみの中で過ごさなければなりません。
日常会話で使われる「賽の河原」
賽の河原という言葉は、三途の川の話だけでなく日常会話でも使われる事があります。
何度同じ事を繰り返しても無駄になってしまう、永遠にも感じるような苦しみが続く事を「賽の河原のようだ」と言います。
さらに、何度やっても報われない事だけでなく、目標が常に続いていく様を賽の河原と表現する事もあります。
ある目標に到達したらそれで終わりではなく、また次の目標が生まれて、さらにそれを達成しても次に目標が生まれる…という事です。
恋人が欲しい、結婚したい、子供が欲しい、子供に良い教育をしてあげたい、家族で暮らせる家が欲しい、リフォームがしたい、ファミリーカーに買い換えたい…と、人生は目標の連続で、ひとつ達成したからといって心が休まる事はありません。
いくら頑張って手に入れたものでもやがて形や関係は変わり、時には終わり、そして滅びていきます。
このような現世の苦しみこそが賽の河原である、と説かれる事もあります。
【海外の賽の河原】ギリシャ神話のシーシュポスの岩
賽の河原は日本で広まった民間信仰のひとつですが、海外にも同じような話があります。
ギリシャ神話に登場する「シーシュポスの岩」または「シーシュポスの巨石運び」というのがそれです。
シーシュポスはギリシャ神話の登場人物のひとりです。
彼は死の神であるタナトス、冥界の女王であるペルセポネーを欺いた罪を償う為、タルタロスで巨石を運ぶよう命令されました。
タルタロスというのは奈落そのものの事でもあります。
この巨石は全知全能の神、ゼウスと同じ大きさ、同じ重さの非常に巨大で重たいものです。
シーシュポスがこの巨石を頂上まで運ぼうとすると、必ず転げ落ちてまた奈落の底に落とされてしまします。
シーシュポスは永遠にこの巨石運びを続けさせられるようになりました。
日本の賽の河原と同じように、果てしのない事、永遠に終わらない苦しみ、といった意味で使われる事もあります。
日本各地にある賽の河原
賽の河原は三途の川の河原にあるとされていますが、日本全国に「賽の河原」と呼ばれているスポットがあります。
実際に生きたまま三途の川に行く事は出来ませんが、全国にある賽の河原を訪れる事で雰囲気を知る事が出来るかもしれません。
貴重な経験となるのは間違いありません。機会があれば是非訪れてみて下さい。
新潟県佐渡の賽の河原
日本各地にある賽の河原の中でも新潟県佐渡にある賽の河原は有名です。
新潟県の観光情報サイトにも掲載されており、現地では地元に住んでいるガイドさんの解説を聞く事も出来ます。
賽の河原があるのは数キロに及ぶ奇岩地帯です、海底から隆起した岩が荒々しく並び、起伏の激しい道を歩いていかなければなりません。
この荒々しい様子は、まさに賽の河原を想像させられます。
険しい道を進むと、ぽっかりと洞窟が現れます。この洞窟こそが賽の河原と呼ばれているスポットです。
洞窟の中には子供を抱えた大きなお地蔵様が一体に、それを取り囲むように沢山のお地蔵様が並んでいます。
岩の段差や隙間にも小さなお地蔵様が沢山並べられていますが、これらは賽の河原を訪れた人たちが置いていったもので、年々その数を増やしています。
また、近くの岩場には実際に誰かが石積みをした形跡も残っています。
荒々しい岩の道と数え切れないほどのお地蔵様、さらに積み上げられた石がそこかしこにある光景は非日常的です。
佐渡の賽の河原に行くには大変な道を行かなければなりませんが、その分雄大で厳かな景色を見られるスポットとしても人気があります。
青森県恐山の賽の河原
賽の河原と言えば青森県の恐山を思い浮かべる方も多いでしょう。
青森県の恐山は、釜臥山、大尽山等の八つの峰の総称です。それぞれの場所で地獄やあの世の様子を味わう事が出来、また死者の成仏を願う事が出来る「地獄めぐり」が有名です。
その中のひとつに賽の河原もあります。
賽の河原は「極楽浜」という浜辺の手前にあり、無数の石積みがされている事からすぐに分かります。
硫黄が含まれる川が流れており、そのせいで一帯には植物が生息しません。
野鳥が飛び交い、いたるところに石が積み上げられている様子は、まさに賽の河原のイメージそのものです。
その他にも恐山には三途の川があったり、血の池地獄、無間地獄等、136の地獄があります。
物々しい雰囲気ではありますが、中には温泉もあり、登山の疲れを癒す事も出来ます。
また、死者の魂を呼び寄せる事が出来るイタコによる口寄せも恐山の名物です。開催期間は限られていますが、この期間はイタコの口寄せを聞く為に多くの人が行列に並びます。
鳥取県大山の賽の河原
鳥取県大山にも賽の河原は存在します。
大山は、古くから霊峰として、神様がいる山として信仰の対象でした。
大山に向かい手を合わせるのが、現地の人々の習わしだったとも言われています。
大山寺の本堂を上ると、南光河原という河原にたどり着きます。
この場所は金門と呼ばれており、川の両側には迫り来るような絶壁が待ち構えています。
この絶壁がまるで神様が通る門のようである事から、金門、御金門と呼ばれるようになりました。
賽の河原があるのはその金門の一角です。
金門の南側に、絶壁が崩れた場所があり、大小様々な石が堆積しています。
浅瀬の川の両端に、いつからか石が積み上げられるようになりました。
大山の賽の河原は佐渡や恐山の賽の河原とは違い、特別に有名なわけでも、観光名所とされているわけでもありません。
その分人の手が入っていない自然の厳かな雰囲気を味わう事が出来ます。
賽の河原と聞くと怖い場所のように思えますが、大山金門は神聖な空気が流れるパワースポットでもあります。
気持ちが浄化され、帰りには日頃の生活や悲しい出来事で傷ついた心も癒されているかもしれません。
まとめ
三途の川にある賽の河原についてご紹介いたしました。
賽の河原では幼い子供達が石を積み上げていると言われています。
親より先に亡くなった子供達は、この賽の河原で、気の遠くなるような長い時間、石積みを続けなければなりません。
賽の河原から開放される方法には諸説ありますが、地蔵菩薩が子供たちを助けてくれるとも言われています。
賽の河原の言い伝えには、「親不孝はいけない」という戒めとともに、いつまでも亡くなった幼い子供に執着せず、その成仏を願うよう親を促す目的もあるのではないでしょうか。
今よりも死が身近であった頃、賽の河原の言い伝えは、切なさとともに、亡くなった子供がまだそこに留まってくれている、という救いのような意味もあったのかもしれません。