MENU

【やさしい仏教入門】三途の川とは?渡り方等についても徹底解説!

河原

こんにちは。管理人の凛です。

今回は、人が亡くなった後に渡ると言われている三途の川についてお話ししたいと思います。

「三途の川とはどのようなものなのか」
「三途の川はどのようにして渡るのか」
「三途の川を渡った後はどこへ向かうのか」
そんな疑問にお答えいたします。

三途の川について学んで行きましょう。

目次

人が亡くなった後に渡ると言われる三途の川

太鼓橋

三途の川は、人が亡くなった後に渡ると言われている川です。

人は死後7日でこの三途の川に辿り着きます。

川には3つの流れの強さがある事から、三途の川と呼ばれます。

生前の行いによってどの流れの強さの部分を渡れるかが決まります。

【善人】
豪華な橋を渡る

【罪人】
浅瀬を渡る

【極悪人】
流れが強く深い所を渡らなければならない

このように三途の川はかつては生前の行いでのみ渡り方が決められると考えられていましたが。
しかし、平安時代末期ごろには、渡し賃(六文)を支払えば誰でも普通に三途の川を渡れるという考えも浸透してきました。

また、三途の川を見た事がある、という人の話を聞いた事がある方も多いでしょう。

「意識不明になった際、川の向こうで亡くなった人が自分を呼んでいた」
「川を渡ろうとしたが引き止められ、目を覚ましたら瀕死状態から抜け出していた。
そのような話はよく聞かれます。

このように、三途の川はあの世とこの世の境目、というイメージも強くあります。

三途の川の名前の由来は仏教の経典

三途の川の「三途」は、仏教の経典を由来とします。

三途は「餓鬼道」「畜生道」「地獄道」を示しており、これらをまとめて三悪道と呼びます。

三悪道は抜け出すのが難しく、沈みやすい為に、川に例えられるようになりました。

餓鬼道、畜生道、地獄道とは、人の輪廻転生の世界の六道の内の3つです。
他にも修羅道、人間道、天上道があります。

どの道に向かう事になるのかは、死後の長い旅の間で決まると言われています。

三途の川の由来になった餓鬼道、畜生道、地獄道について、また、残りの修羅道、人間道、天上道の六道について簡単にご紹介いたします。

【餓鬼道】欲深い人が行く道

餓鬼道に行く人は、生前、欲深く、ケチであった人です。

餓鬼は飢えや渇きに苦しんでおり、骨と皮だけのような醜い体をしています。

食べ物や飲み物を満足に得る事が出来ず、一生苦しみ続けます。

殺生はしていないもののこのように欲望や執着に囚われていた人は、生まれ変わってさらにツライ毎日を余儀なくされます。

【畜生道】は生前人を妬んだ人が行く道

畜生道は動物、鳥、昆虫たちの世界です。

動物は弱肉強食の世界で生きており、常に捕食するか、捕食されるかの瀬戸際に立たされています。

その為心休まる瞬間がなく、いつまでもビクビク過ごさなければなりません。

畜生道に行くのは、生前人を妬んだり、人の幸せを喜ばなかったり、反対に人の不幸を喜んだ人です。

殺生もせず執着にもとらわれなかったのに厳しいと感じるかもしれません。しかし、仏教は心の有り様も重視します。

その為、行動はしていなくても心で悪い事を思っていたのなら、このように死後苦しめられる事になります。

地獄道は殺生をした人が行く道

地獄

六道の中でももっとも過酷で厳しいのがこの地獄道です。

地獄は私たちの想像を絶するような場所です。

この世の炎を地獄に持っていけばあっという間に雪になってしまうほど、現実世界の苦しみと地獄の苦しみは比べ物になりません。

地獄の刑期は非常に長く、何億年、何十億年といった単位では示しきれないほどの期間地獄で苦しみに悶え続けなければなりません。

殺生をした人は皆地獄に行く事になります。

生まれてから一度でも、虫を殺したり生き物の肉を食べたりしたら殺生をした事になるので、この世のほとんどの人はこの地獄道に落ちる事になります。

【修羅道】争いの絶えない道

修羅道は、喧嘩や争い、闘争が絶えない世界です。

苦しみが耐える事はありませんが、地獄のような分かりやすい苦しみがある場所ではありません。

苦しみはいずれ自分の中に帰結するという考えからきています。

【人間道】仏教に出会える道

人間道は苦しみもあるものの楽しみもある道です。

六道の内では仏の教えを学ぶ事が出来る貴重な道でもあります。
人間道に生まれた時に仏教に触れて行いを改める事が出来れば、次は極楽浄土にたどり着く事が出来るかもしれません。

人間道、天上道は「三界」と呼ばれます。人間道はその内の欲界に属します。

【天上道】天人が住まう道

天上道は天人が行く事の出来る道です。

天人は人間よりも優れており、寿命も長く、苦しみも少ないです。

しかしまだ煩悩が残っており、苦しみもあります。

天上道に生まれ変わっても、完全に悟りを開いたとは言えません。

天上界の中でも中級のものは色界、上級のものは無色界に属します。

三途の川を渡るまでと渡った後

裸足

三途の川は、死んだらいきなり現れるものではありません。

まずは死出の山路を行き、次に三途の川を渡り、そして三途の川の対岸に辿り着きます。

それぞれどのような場所なのかをご紹介いたします。

死出の山路を7日かけて歩く

人は死ぬと、まず死出の山路を歩く事になります。

この死出の山路は800里、つまり3,200キロを、1日460キロ計算で、たった1人で歩きます。

この山路は暗闇で、荒れ果てています。

険しい山道が続き、冷たい風が吹き、地獄にいつも罪人たちの悲鳴だけが響いています。

死出の山路は、死装束に白い経帷子を左前にしたものです。

この死装束を着ていると鬼に体の皮を剥がれる事はありません。

さらに三途の川を渡る為に必要な六文をいれたずた袋、数珠を持って山を越えます。

広大な三途の川を渡る

死出の山路を超えると三途の川に到着します。

三途の川には賽の河原があります。

賽の河原では、小さな子供が石を積み上げながら泣いています。

どんなに石を積み上げても鬼が蹴飛ばしてしまい、完成する事はありません。

賽の河原で石を積み上げている子供は、親よりも先に死んだ子供だと言われています。

石を積み切る事が出来れば三途の川を渡る事が出来ますが、鬼のせいでそれも叶いません。

しかし、賽の河原の子供たちがかわいそうでも、他の人にはどうする事も出来ません。

それよりも自分が三途の川を渡る事を考える必要があります。

三途の川の向こう岸は400キロも先にあります。これは日本で言えば東京から神戸くらいまでの距離で、向こう岸が見えないほどの広大な川です。

三途の川には3通りの渡り方があります。

【上流】
上流は「清水瀬」と呼ばれます。
ひざ下くらいまでの浅瀬で、簡単に渡る事が出来ます。
この清水瀬は生前の罪が少ない人が渡る事の出来る所です。

【中流】
中流には宝石で出来た豪華な橋がかかっています。
善い行いをした人はこの橋を渡る事が出来ます。

【下流】
下流は「強深瀬」と呼ばれる激流が流れています。
生前罪深かった人が渡ります。

泳いで渡らなければなりませんが、息をする為に水面から顔を出すと鬼が弓を引いて狙っています。

水中は石や岩がものすごい力で流れており、少し泳いだだけでも体の皮や骨が砕けます。
体はすぐに復活するのでまた泳ぎ始めなければなりませせん。

三途の川の対岸の衣領樹(えりょうじゅ)

奪衣婆と懸衣爺

三途の川を渡りきると、そこには衣領樹(えりょうじゅ)という大きな木があります。

その木の前には脱衣婆(だつえば)というおばあさん、懸衣翁(けんねおう)というおじいさんがいます。
この2人に着ている服を脱がされ、それを木の枝にかけられます。

三途の川を渡ってきたので着ているものは当然濡れており、その重さによって木の枝がしなります。

枝のしなり方で罪の重さが決まり、その後どこへ連れて行かれるかが決まります。

橋を渡ってきた善人の着物はあまりしならず、反対に濁流を長い時間かけて渡ってきた罪人の着物は非常に重く、枝は大きくしなります。

三途の川を渡るのに六文が必要な理由

三途の川を渡るには六文が必要だと言われていますが、これはこの時に使われます。

お賽銭として六文を持っていれば、三途の川を渡りきった時に着物を剥ぎ取られる事なく、また、善人が渡る橋を渡る事が出来ます。

六文を収める事で、生前の罪を悔い改めたという事になります。

六文は輪廻転生の六道にかけられていると考えられています。

この六文というのは、現在の感覚で言うと300円程度です。たった300円で生前の罪を補えるというのは、かなり都合の良い考えかもしれませんね。

六文銭の言い伝えは仏教やその他の宗教から生まれたものではなく、民間伝承としていつからか広まったものです。

当時の日本は、盗みや殺人、殺生はあって当たり前でした。

生きていく上で自分の身を守る為にはこれらの罪は仕方なかった事なのです。

その為、仏教の「悪い行いをせず、善い行いをして救われよう」という教えを守る事は難しいものでした。

このような罪をどうにか払拭出来ないか、という事で考え出され、そして言い伝えられたのが六文銭の習わしです。

昔は故人の棺桶に六文を入れて埋葬していましたが、現在は六文の硬貨は使われていません。

その為、六文を印刷した紙を棺桶に入れるという風習が残っている地方もあります。

その後六道のどの道に進むか決まる

罪の重さが決まったら、閻魔大王の元へ行き六道のどの道に進むか決められます。

仏教では悟りを開くまでは輪廻転生を繰り返すとされていますが、三途の川を渡った時点で六道のいずれかに生まれ変わる事になります。

地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天上道は、いずれも苦しみや迷いのある世界です。

つまり、悟りを開いて涅槃に辿り着く事は出来なかったという事です。

さらに、生まれ変わって仏教の教えを聞き悟りを開くには、人間道や天上道に生ま変わらなければなりません。

人間道、天井道に辿り着くためには、「生前に殺生をしなかった」「正しい行いをした」等、厳しい仏教の教えを守る必要があります。

三途の川を渡らずに済む方法は?

三途の川を渡ったという事は悟りを開く事が出来なかった、涅槃に辿りつく事が出来なかったという意味です。

仏教では、魂は悟りを開いて涅槃にたどり着く為に輪廻転生を繰り返しているという考えが根底にあります。

生前に悟りを開く為には、仏の教えを聞き、理解し、さらに修行を積み重ねなければなりません。

生前にこのように善い行いをし、さらに盗みや殺生等をしなかった場合は、三途の川を渡る必要はなく、すぐに極楽浄土にたどり着く事が出来ます。

世界中にある三途の川の伝承

船頭

三途の川は仏教だけにある話ではなく、世界中で言い伝えられています。

その一例をご紹介いたします。

エジプトの三途の川では呪文を知っていなければならない

エジプトの三途の川は、天国の入口にあります。

この三途の川の守人に呪文を伝える事が出来なければ、川を渡れません。

その為エジプトでは、生前にこの時必要な呪文を覚える必要がありました。

ギリシャには4つの川がある

ギリシャの三途の川は、現世、来世の間に流れるものです。

アケロン川、コキュトス川、レテ川、ピュリプレゲトン川という4つの支流があり、日本の六文銭と同じように渡し賃が必要です。

その為、ギリシャでも故人の棺桶にはお金を入れる風習があります。

古代インドでは地獄の入口にある

古代インドの三途の川は地獄の入口にあります。

ヴァイタラニー川と呼ばれるその川は急流で、熱くて臭い水が流れています。

この水には血、膿、髪、肉片等も一緒に流れていると言われています。

カミソリのような細くて長い橋を渡らなければ、この水の中に落ちてしまいます。

まとめ

三途の川について解説いたしました。

三途の川は、死後の世界とこの世を結ぶ川です。仏教の考え方だけではなく、世界中で似たような伝承があります。

それぞれに様々な渡り方があると言われていますが、日本でもっとも有名なのはご紹介した3つの渡り方です。生前の行いで渡り方が決められます。

生前に仏の教えを学び、行動を慎み、善行を積む事で、罪を軽くし、楽な渡り方をできるかもしれません。

三途の川を渡ったら、また、人間界や天上界に生まれて、また仏教の教えと出会える人生が待っていると良いですね。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次