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【やさしい仏教入門】真理とは何か?を分かり易く徹底解説!

こんにちは。管理人の凛です。今回は、仏教における真理についてお話しいたします。

真理は、仏教の修行をする上で、また悟りを開く上で必ず会得しなければならないものです。真理とは何か、そして人生とは、幸福とは何かを知り、悩みや苦しみから魂を開放してあげましょう。

目次

仏教では常に成り立つものが真理

時

仏教では真理は三千を貫いて十方を普くもの、とされています。三千とは、現在と過去と未来を示し、十方とは東西南北に加えて上下四惟も含めた全ての方位という事です。

つまり三千を貫いて十方を普く、という事は、いつでもどこでも変わる事がない、という意味です。

真理とはどんな状況でも誰にとっても変わる事がなく、時代によって変化するようなものではありません。文化や宗教、性格によって変わるようなものも真理ではないと、仏教では定義されています。

西洋での真理は未だに議論されている

真理とは、簡単に言うと本当の事、真実の事です。

真理は仏教だけでなく様々な分野で使われる言葉であり、西洋では、真理は哲学で取り扱われるテーマの1つです。哲学で真理が議論されるようになってから2,000年以上が経過していますが、それでも本当の真理に到達出来てはいません。

真理を絶対的なものと定義する考え方と相対的なものと定義する考え方、さらに人間に真理を理解する事自体が可能なのか、という議論が続いています。

キリスト教ではイエスの悟りこそが真理

キリスト教では、イエスキリストが悟ったものこそが真理だという考え方が基本です。聖書に書かれているものが真理で、それ以外は認めないという考え方です。

しかし、この考え方では、科学の進化や文化の違いによって差異が生じてしまいます。実際にキリスト教、とくにカトリックでは、しばしば論争や弾圧が起きる事もあります。どこにいても誰にても通用する仏教の真理とは大きく違っているのです。

学術的な真理と仏教の真理の違い

物理学

哲学だけでなく、数学や物理学でも真理という言葉はよく利用されます。この学術的な真理と、仏教における真理にはどのような違いがあるのでしょうか。

簡単に言うと、その真理で人を幸せに出来るか出来ないか、という点でこれらは大きく違っています。

学術的な真理は仏教の真理と同じく、どのような状況でも、どの国でもどの文化でもどの時代でも成り立ちます。しかし数学や物理学が人を幸せに出来るかというとそうではありません。人の生活を便利に、豊かにする事は出来ますが、これらは目先の幸せを得る為に役立てる事は出来ても本当の意味の幸せにしてくれる事はありません。

一方で、仏教の真理とは、全ての人を幸せにする為のものです。どの時代でもどの文化でも、本当の意味での幸せというものは変わりません。

仏教ではこの幸せになる為の真理を真如とも呼び、仏教が出来たころから変わらずに大切にされています。

真如は言葉で表す事が出来ない

キリスト教では、言葉によって人々を救えると言われています。聖書を読めば真理を知る事が出来、その魂は救われるのです。

しかし仏教において真理、つまり真如は言葉で言い表す事は出来ません。言葉からは離れたものであり、心で理解する必要があります。

この真如を心で理解する為には悟りを開く必要があり、悟りを開いていない人が真如に到達する事は出来ません。現在最高位の悟りを開いたのはお釈迦様ただひとりであると伝えられていますが、お釈迦様も真如を言葉にする事は出来ませんでした。

それでもなんとか形に残そうとしたものが「依言真如」です。これは本当の意味での真如ではありませんが、依言真如を理解する事で本当の真如の輪郭を把握する事は出来ます。

真理を理解する為に必要な4つの言葉

仏教の真理を理解する為には、まずこれからご紹介する4つの言葉の意味を理解する必要があります。

言葉で説明したり理解する事は簡単ですが、それを飲み込んで自分の考え方にするまでには長い期間をかけた修行が必要です。まずは真理に近づく糸口として、一切皆苦、諸行無常、諸法無我、涅槃寂静の4つの言葉の意味を理解していきましょう。

一切皆苦

苦しみ

一切皆苦とは、人生は思い通りにならないという事です。まずこの事実を理解して受け入れる事が出来なければ、真理を会得出来ません。

人は生きていると、病気や老い、死ぬ事、生きる事に苦しみを感じてしまいます。

さらに他人との関わりの中で愛する人を失う苦しみや憎い人と出会う苦しみ、感情をコントロール出来ない苦しみ、地位や名声をもっとほしがってしまう苦しみにも苛まれるようになります。この苦しみから開放される為に必要なのが下記の3つの教えですが、まずはこの苦しみの原因は自我があるせいだという事を理解しなければなりません。

諸行無常

この世のものは常に変化しています。お金の価値や物価で考えると分かりやすいですが、同じ1円でも時代によってはその価値は変動します。

友人関係、対人関係も、些細な事がきっかけでうまくいったり破綻してしまったりします。昨日までチヤホヤされていた芸能人が、翌日には不倫報道で叩かれている、というのを見かける事もよくあるでしょう。さらに老いを止めたい、身も心も若いままでいたいと、ムリをしたり必要以上にお金をかける人もいます。

人間関係はもちろん、人間の体も、巨大な建物も、地位や名声も、全ては儚いものです。しかし、物事や自分自身、人間関係に執着して生きているとこの事に気づきにくくなります。

変わらない事を望み、さらにもっと欲しいと欲が出るようになるのです。いずれも時が流れるにつれて変化してしまうもの、ひいては滅んでしまうものという考え方が大切です。

諸法無我

この世のものごとはお互いに影響しあう因果関係によって成り立っています。

自分が生まれたのは両親がいるからであり、両親がいるのはさらにその両親がいるからです。食べ物は料理した人がいて、食材を売った人がいて、食材を育てて収穫した人がいるからです。衣食住、生活の全て、私たちは常に誰かの影響を受けています。

そして私たちも、誰かに影響を与えて生きています。この事に気づかず、自分はひとりで生きていると思い込む事は愚かな事です。

自分の存在は特別なものではない、誰かに支えられ、誰かを支えて生きている、この世の全ては繋がっていてバランスよく保たれている、というのが諸法無我の考え方です。

涅槃寂静

涅槃石像

仏教が目指す悟りの境地がこの涅槃寂静です。

本当の意味での幸福を目指すには、怒りや憎しみ、悲しみといった負の感情を消し去る必要があります。負の感情は全て、「自分が幸せになれないのは誰かのせいだ」という自分勝手な考えから生まれます。これを煩悩と呼びます。

煩悩を打ち消し、安らかな心で過ごす事、誰にでも平等に接して過ごす事が「涅槃寂静」です。この状態には誰でも簡単に到達出来るものではありません。

涅槃寂静、つまり真理を会得して悟りを開くには。これからご紹介する四諦、八正道について学び、実行する必要があります。

真理を会得するためにすべき2つのこと

お釈迦様は悟りを開いたあと、他の人たちの魂も幸福に導く事が出来るよう、悟りを開く方法を教え伝えました。それが「四諦」と「八正道」です。四諦は悟りに至るまで、つまり真理を理解するまでの道筋の事で、八正道は真理を会得する為のトレーニングのようなものです。

それぞれについて詳しく解説していきましょう。

真理を得るまでの道筋である四諦

四諦とは真理を得るまでの道筋の事です。

  • 人生は苦しみの連続であるという事
  • 自我こそが苦しみの原因になっているという事
  • 苦しみを自ら集める言動を滅する事
  • さらにその言動を滅する為の方法の事

この四つをまとめて四諦と呼びます。

仏教において苦しみとは、思いがけない事、自分の思い通りにならない事を意味します。

そもそもこの世の因果は宇宙が生み出したものであり、それを苦しいと感じるかどうかはその人自身のエゴです。自分の思うようにいかない、とかってに決め付ける事で人はどんどん苦しみを自分で集めてしまうようになります。

この苦しみを苦しみと捉えず、ありのままを受け入れる事が出来れば苦しみから開放されます。真理を会得し悟りを開くには、この苦しみから開放される事、また開放される為のトレーニングを積む事が大切です。そのトレーニングを分かりやすく記したのが次にご紹介する八正道です。

真理を得る為のトレーニング・八正道

八正道は、仏教では真理を会得して悟りを開く為に必要なトレーニングの1つです。

簡単に言えば八つの正しい行いを修行や日常生活に取り入れる事を指します。これが自然に出来るようになった時、より仏教の真理に近づく事が出来るでしょう。

八正道には正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の八つがあります。

それぞれについてもう少し詳しく解説いたします。

正見

見つめる女性

八正道の中でももっとも大切な項目であり、物事を正しく見る、という意味です。人は誰しも、自分の考えや価値観を通して物事を見ています。

しかしそれでは偏った見方をしてしまい、物事の本当の意味を見出す事は出来ません。物事を俯瞰して見て、偏った考え方に執着しない事こそが大切です。

正思惟

他人に対して怒りを感じたり、敵意を持って接したりせず、慈愛の心で接する事です。

相手に怒り、恨み、憎しみ等の負の感情を抱いてしまうのは、自分の思い通りにならないから、その人がいると自分の欲望が満たされないからです。このような負の感情を無くす事で自分の欲望や執着もなくしていく事が出来ます。

正語

生きていると嘘を言わなければならなかったり、悪口を言ってしまう事もあります。

しかし仏教で真理に近づくには、嘘や悪口は言ってはいけません。正しい言葉を使い、正しく相手に伝える事、本当の事だけを言う事で、平和を築き上げていく事が出来ます。

正業

仏教では殺生は禁じられています。正業とは、むやみな殺生をしない事、暴力を振るわない事、他人に迷惑をかけない事を意味しています。

他人に迷惑をかけないというのは仏教で真理に近づく為には非常に大切な事です。

正命

芽吹き

与えられた命を正しく使って生きる事を正命と言います。

自分の行為や心を正しいものに維持しつつ、与えられたものをムダにする事なく、また必要以上に欲しがる事なく慎ましやかな生活を送る必要があります。

正精進

正しい努力を積み重ねる事です。

悪い行いをしない、正しい行いをする為には、自我をコントロールしなければなりません。これは非常に難しい事ではありますが、真理に近づく為には必要不可欠です。

正念

文化、価値観、環境によって一人ひとりの考え方は違ってしまいますが、このような偏見を持たずに物事を見て、さらにその対象を一体化する事を正念と言います。

主観を入れて考えずに、物事の本質を見極める事が大切です。

正定

瞑想して精神を安定させる事です。

ヨガ等で瞑想は有名ですが、仏教の修行においても瞑想は取り入れられています。とくに止観瞑想という心も体も動かさずに自分自身に集中するという瞑想方法が有名です。

じっとして、自分の呼吸に集中しようとしても、人間はどうしても色々な事を考えてしまいます。これらを完全に消し去る事は難しいですが、ムリに消し去るのではなく呼吸に集中しつつ、気持ちを引き返すという瞑想方法です。

まとめ

真理を理解出来れば、仏教の悟りを開けます。

これまでに本当の悟りを開いたのはお釈迦様ただ1人です。真理の理解は簡単ではないでしょう。

しかし真理の輪郭だけでも把握する事が出来れば、より仏の教えを学びやすくなります。ご紹介した四諦や八正道等も含めて、真理を知る為の努力を積み重ねていきましょう。

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