願いが叶う呪い【陰陽道】その歴史と概念、注意点など
こんにちは、管理人の凛です。
皆さん、陰陽道という呪術をご存知ですか?
名前を聞いたことがある人はたくさんいても、詳しい事は知らなかったり、実際にその呪術を試したことがある人は少ないのではないでしょうか。
陰陽道はとても歴史のある呪術ですが、現在では無くなった呪術とされています。この機会に陰陽道について学び、よりおまじないについての知識を広げてみましょう。
陰陽道は古代中国の「陰陽五行説」をベースにした日本独自のもの
陰陽道とは、古代中国の陰陽五行説をベースにして学問的な思想、呪術などを日本独自に発展させ、それらを包括したものを指します。
つまり、陰陽道といっても呪術だけでなく、天文学や暦学、易学など様々なものが対象となるのです。
「陰陽説」と「五行説」が組み合わさった陰陽五行説
陰陽五行説は、陰陽説と五行説が合わさってできた概念です。
陰陽説は古代中国で生み出された思想で、この世のあらゆる事象は、「陰」と「陽」という2つの相反するものから成り立っているという考え方です。
一方、五行説と言うのは、全ての物は「木」「火」「土」「金」「水」の5つの要素から構成されているという考え方です。
この2つの考え方が、鄒衍(すうえん)と言う人物によって組み合わさり、陰陽五行説が誕生しました。そしてこの時、五行は混沌の中から太極(中国思想における万物の根源)を経て生み出されたという五行の生成とその順序が確立されたのです。
『太極が「陰」と「陽」に分かれ、陰の北には水、陽の南には火が生まれました。残った陽気が東に移動すると木を作り、西に移動すると金(金属)を作りました。さらに水、火、木、金が集まることで土が生まれました』というものです。
また、五行にはそれぞれ象徴するものがあります。
木は春、火は夏、金は秋、水は冬を象徴し、土は季節感の推移を象徴しています。この五行が循環することで、時の流れが生成されるのです。
密教が深く関わっている日本式の陰陽道
陰陽五行説が日本に伝搬し、数々の学問研究を重ねるうちに日本式の陰陽道が生まれました。その中で生まれた呪術は、祈願などの願掛けによる呪詛が多いですが、のちに呪殺を目的としたものが登場します。
陰陽道の呪術には密教が深く関わっており、人を呪殺するために用いられ呪殺する相手をかたどったヒトカタと呼ばれる人形は、密教から影響を受けたと言われています。
陰陽道の呪術が発展するに連れ、陰陽道は国家に管理され、陰陽道に関する仕事をする陰陽師もより高度な知識を求められるようになりました。
陰陽道は明治時代に廃止されてしまいますが、今もなお陰陽道が残る地域も存在しています。
5〜6世紀から現代に至るまでの陰陽道の歴史
中国から伝来したのは5〜6世紀頃
陰陽道のベースとなる陰陽五行説が中国から伝来してきたのは5〜6世紀頃です。
この頃は、陰陽道の学問面が熱心に研究され、あの聖徳太子も陰陽五行説などを講じたと言われています。古代日本最大の内乱である672年の「壬申の乱」で勝利した天武天皇は、陰陽五行思想を政治に取り入れるため、676年に「陰陽寮」と呼ばれる役所を設けます。
陰陽寮で働く人間、陰陽師は今でも聞き覚えのある言葉ですね。彼らは今で言う「官僚」のようなエリートとして時代を牽引する要素となりました。
悪霊退散の力から呪殺のための力になる平安時代
時代が進み平安時代に入ると、陰陽道は有力公家などの生活にも浸透し、国家的なものから公的なものになり始めました。
また、この頃から陰陽道の呪術が発展し始めました。陰陽師に悪霊退散の力が求められるようになり、悪霊退散の力はやがて呪殺をするための力へと変化していきます。それは道教や密教の影響ともいわれていますが、陰陽道が公家の生活に浸透していたことが原因でもあります。
国家的に認められていない「ヤミ陰陽師」と呼ばれる陰陽師が多く登場し始め、彼らが陰陽道の呪術的思想をより強めていくこととなりました。ヤミ陰陽師は公家と私的に関係を築くことで、公家専属の「お悩み相談係」となっていきます。
その中から敵対者を呪殺する陰陽師が登場し、多くの陰陽師が政治の裏で暗躍することになるのです。
陰陽道において相手を呪殺するには、呪殺の対象よりも優れていなければ効果が出ないとされており、よりレベルの高い陰陽師を目指す風潮が生まれました。
政治的利用から廃止までの道を辿る鎌倉時代〜現代
陰陽道や陰陽師というワードを聞くと平安時代のイメージが強いものですが、武力至上主義の鎌倉時代に入っても陰陽道が日の目を見なくなることはありませんでした。鎌倉時代に勢力のあった武家は、公家のような伝統文化を持っていなかったため、それまで政治的に用いられてきた陰陽道に非常に興味を持ち、政権を守るための役割を陰陽道に求めるようになったのです。
軍事の発展に伴い、この頃から忍が登場し始めます。忍の祖とされる大伴細人は陰陽道に長けた人物であったため、元陰陽師の忍者も多く存在しました。
室町戦国時代に入ると、平安時代のような呪殺などの呪術的な利用は減少しました。徳川家康も江戸幕府を開くまで陰陽道を重要視していましたが、時代が進みより戦乱が激しくなると、陰陽道は衰退の一途を辿り始めます。
江戸時代になると、今まで政治面で扱われてきた陰陽道が民間に流出し始めます。全国的に広まった陰陽道は各地の風土に合わせ、多様化しました。さらには民間で陰陽道を扱う人々が登場します。
彼らは「声聞師」と呼ばれましたが、その実態は士農工商に該当しない低い身分であり、なかには詐欺師も存在していました。
明治時代に入ると、明治維新のために陰陽道は廃止されました。
この頃から公的に陰陽道は姿を消すのですが、現在でも福井県や高知県などの地域には陰陽道が残っています。
陰陽道で必須なのは「知識」
陰陽道の呪術を行なう上で注意しなければいけないこと、それは「知識」です。陰陽道は多くのジャンルの知識の集合体です。当然呪術をかけるときにも知識が必要となってきます。
陰陽道の呪術として有名な「蠱毒(こどく)」について考えてみましょう。
蠱毒というのは、一つの皿の中に蛇、蜘蛛、ムカデ、ヒキカエルなどを入れ、共食いさせた後、最後に生き残った動物を使って呪いをかける方法です。
最後の動物を粉状にして呪う相手の食事に混ぜたり、相手の家の下に埋めると相手が急死するという効果が発揮され、呪った方はより裕福になるおまじないです。
しかし、陰陽師がしのぎを削り合う時代に誕生した呪術方法なだけに、呪いを解く方法も存在します。
蠱毒に使用する害獣、害虫にはそれぞれに相性が存在します。ヒキガエルの蠱毒には蛇の蠱毒、蛇の蠱毒にはムカデの蠱毒を服用するとその効果はなくなると言われています。簡単に言うとじゃんけんのようなものです。
このように、呪えば必ず効果が発揮されるわけではないというのが多くの呪術との違いでしょう。陰陽道の呪術を行なうには、あくまでも賢くなければならないのです。
何度も言うようですが、陰陽道の呪術は知識がベースとなっているものです。ただがむしゃらに呪術の知識を詰め込み、実践すれば効果が出るものではありません。
陰陽五行説の思想を深く理解し、呪う相手の状況をよく把握する必要があります。しかし、勉強した上で実践した陰陽道の呪術は、凄まじい効果を発揮します。陰陽道の呪術を実践したい方はまず陰陽道を勉強するようオススメします。
また、陰陽道の呪術に限らず、相手を不幸に陥れる呪術はその効果が自分に返ってくるリスクがあります。行なう際はくれぐれも注意してください。
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